改めて2020年を個人的に振り返る
本当にいつの間にか2020年が終わり、今日は2021年1月10日です。
猛スピードで過ぎていく年月に恐怖すら感じているのですが、改めて私にとっての2020年という年を簡単に振り返ってみたいと思います。
2020年は世界が大きく変化した年でした。その中で、否応なく私の置かれた環境も変化した年でした。
2020年を「コロナの一年」と総括することに疑問を呈する人は少ないと思います。
私もコロナ禍の中で映画産業の片隅にいたものとして、大きな影響を受けました。
1月末ごろ、前職の社長室に呼ばれ「このウイルスは日本にも影響を及ぼすか?」と社長に聞かれた時、「あったとしても限定的でしょう」と笑って答えた場面を今でもたまに思い出す時があります。
そこから世界的なロックダウンが始まり、全世界の映画産業が止まり、私も会社を辞めました。転職活動をしながら、「この会社に落ちたら日本に帰ろう」と思っていた時に、今の会社に拾われ、幸いにもまだ韓国で仕事ができています。
日常は決して当たり前ではないということを実感した日々でした。自分にとってこの感覚は、ある種東日本大震災の時に感じたものと比較できるものかもしれません。
また多くの素晴らしい方がこの世を去った一年でもありました。
個人的には、原発村の体質を暴いた『原発のある風景』の著者である柴野徹夫さんが亡くなったことは大きな出来事でした。
高校時代にお会いして、ジャーナリズムの役割、生の情報を取りに行く重要さ、社会に対する批判的な目の養い方など多くのことを学びました。ともにGaza Freedom Marchに参加し、エジプトそしてパレスチナの西岸地区に渡った時に体感した分断の現実は今でも私のものの見方に大きな影響を与えています。私自身、安全保障を学ぶ中で、考えが変化する部分もあり、高校生から大学のはじめほど頻繁にお会いすることは減っていましたが、意見が違おうが私のようなひよっ子にも対等な立場で話してくれるジェントルマンでした。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
当たり前が当たり前でないことを痛感した一年を経て、これから社会がどう動いていくのか。考えれば考えるほど、暗鬱な気分になります。ただ、何があっても社会は前に進んでいくのだという確信をもって、2021年も日々自分ができることを一つずつしていきたいなと思っている所です。
立命館アジア太平洋大学(APU)の出口治明学長は「パンデミックが人類史を前に進める。グローバル化は止まらない」という一貫したメッセージを出しておられます。}
私もそう信じていますし、今年は日韓、そして世界を行き来できる年になればと心から祈っています。
春川の清平寺(청평사)にて
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