自分の感受性くらい

年を取るにつれて、昔聞いていた歌、観た映画、読んだ本などが違った形で感じられることは誰しもあると思う。

私にとっては茨木のり子さんの詩「自分の感受性くらい」はその一つだ。
おそらく最初に知ったのは中学の国語の授業だと思う。


自分の感受性くらい 茨城のり子

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志しにすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ


茨木のり子さんは朝鮮半島に深い関心を寄せ、50歳を過ぎてから韓国語を学ばれた方でもある。日本が経験した戦争の時代に対する反省があっても、言葉を学び文化を学ぶという形で、韓国を理解しようとした人が少なかった時代に、大きな役割を果たされた。

自分の感受性くらいの最後の一文の日本語訳はこうだ。

자기 감수성 정도는
스스로 지켜라
이 바보야

この大バカ者と自分をしかりながら、せっかく韓国にいるのだから感受性豊かに日々を生きていきたいと改めて思う。

(夕方の散歩道で)

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